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足跡

1951. 5. 3. 金海市翰林面龍徳里壮元村で出生

‘壮元’という村名は、金鍾侃の派祖である西岡キム・ゲグン(朝鮮世宗~端宗時代の入れ墨、世祖の王位簒奪に反撥し都落ちしたと言って生六臣に一人を加えたという意味で、‘六一巨事’と呼ばれる)が生員の時に壯元及第をしたことから来由した。

日帝徴用の後遺症で闘病生活をしていた父親は、金鍾侃が小学校1年生の時に死去する。その後、やもめの柳姫女史が3男2女を養育する。

安明小学校の時から聡明さが認められた金終刊は、貧乏な家庭の事情にもかかわらず先生の勧誘で市内地域に所在した金海中学校へ進学する。交通費さえ十分ではない彼は夜明けにご飯を食べて往復4時間ほど必要となる学校へ歩いて通学する。

成績から見ると隣近都市へ留学することはできるが、やもめとの生活のため金海地域で唯一な高校だった金海農高へ進学して卒業。貧乏な家庭事情で大学への進学の夢をあきらめて、空軍へ入隊する。学問の熱情を読書と思索で人生の知恵を学んで悟る。

神秘の王国のベールをむいた伽揶史復元運動を主唱する。 高校時代に特別なリーダーシップを発揮し、高等部から一般部へ至るまで各種の雄弁大会で優勝したが、それを見ていた金海農高の同窓出身、第11代シン・ウォンシク国会議員に抜擢され、1981年秘書官として活動する。

85年11代国会での任期終了で帰郷した後、伽揶雄弁学院長、金海市学院連合会長として活動しながら、‘神秘の王国’だけで恥部された伽揶史復元運動を主唱する。88年7月国内最初の歴史専門大衆誌である隔月刊<伽揶>を、翌年3月<金海新門>を創刊したし、‘伽揶文化研究会’ の創立を主導し初代事務局長、副会長などを歴任しながら、伽揶史の復元とそのための大大的な学術調査の必要性を力説する。

これは伽揶史に対する学界と一般の関心を鼓吹させて、金海大成洞古墳、酒村良洞里古墳などの発掘調査と学界に伽揶史の研究熱風を起こす触媒役割をする。

87. 5. 伽揶茶(将軍茶)自生地(茶畑谷)を発見、学界に報告
90. 12. 伽揶茶自生地発見(ショゼ谷)
91. 1. 伽揶茶自生地発見(長有バウ山)
91. 12. 伽揶土器、金海茶碗再現展開催
92. 盆山城烽燧台復元提案
95~ 青少年ボランティアの家開所、市民学生歴史探訪団運営
95~98年 第5代慶南道議員として内務環境委員長を勤める。釜山慶南住民の生命水である洛東江をいかすために渭川工団反対非常対策委員長を引き受け、坊主頭闘魂を燃やしたあげく意味を貫徹させる。

在野郷土史学者としての優れた活動が評価され、2004年から2006年4月まで伽揶大兼任教授で出講。