| 市役所 所在地 | 端 | 経度と緯度の極点 | 距離 | |
|---|---|---|---|---|
| 地名 | 極点 | |||
| 金海市 府院洞 623 | 東端 | 大東面月村里 | 東経129度0'48" 北緯35度16'16" |
東西間 27km 南北間 32km |
| 西端 | 進永邑佐昆里 | 東経128度41'47" 北緯35度18'12" |
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| 南端 | 長有面長有里 | 東経128度49'44" 北緯35度9'10" |
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| 北端 | 生林面都要里 | 東経128度51'59" 北緯35度23'31" |
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金海市は朝鮮半島の東南端に位置しており、東は釜山広域市江西区に接している。また、北は洛東江を境に密陽市に接し、南西は昌原市に接している。
金海市は温帯気候の地域であり、四季がはっきりとしている。また、南海の海洋性気候の影響を多く受けるため、全国で最も穏やかな地域であり、様々な活動に適した気候条件を備えている。年間の平均気温は15度ほどであり、平均降水量は1,200mmである。韓国の平均降水量1,274mmと同程度であり、世界の平均降水量973mmより多い。
金海市の総面積は463.26㎢であり、韓国の総面積(99,393.81㎢)の約0.5%、慶尚南道の総面積(10,518.3㎢)の約4.4%を占めている。道内の20の市や郡の中では、13番目に大きい。
6加耶説は高麗初期の伝承であり、実際には10国以上の加耶小国群であった。加耶史と言えば、普通は金官加耶、阿羅加耶のような、いわゆる「6加耶」の名を思い浮かべる。では、加耶が6つの小さな国家(小国)で構成されており、その小国の名が「何々加耶」であったというのはどのような意味であろうか?
6加耶の名が初めて記された資料は、高麗末に編纂された『三国遺事』の「五加耶条」の記録である。これを見ると、実際には阿羅加耶、古寧加耶、大加耶、星山加耶、小加耶、金官加耶、非火加耶などの七加耶の名が出てくる。これらの名は『三国遺事』の駕洛国記の駕洛国首露王建国神話に追加された六卵説話に出てくるものであるが、その6加耶の概念は新羅末期、高麗初期の混乱期の後高句麗や後百済のように生じたものである。よって、「何々加耶」という形態の国名は、それらが小国として存在した当時の国名ではなく、昔、加耶連盟の一つであった金官国、阿羅国、古寧国、星山国、非火国であったということを示す新羅末期から高麗初期の名称である。
高麗初期の記述は正確ではないため、『三国遺事』に綴られた7つの加耶小国の一部は実際に加耶連盟体に入っていた小国であったかどうか疑わしい。それに、加耶土器の出土範囲からは、加耶連盟体をなす小国の数は6カ国に止まらず、10カ国を超す。そのため、これからは6加耶説を見直し、考古学資料である『三国志』魏書東夷伝、『三国史記』、『日本書紀』などの資料を基に、加耶史を総合に再構成しなければならない。